仏教の言葉で身土不二(しんどふに)という言葉があります。
身(今までの行為の結果=正報)と、土(身がよりどころにしている環境=依報)は、切り離せないという意味です。
つまり、人は、
環境のようになる
ということなんですね。
食養生で言われる身土不二(しんどふじ)は、人間の身体と土地は切り離せない関係なので、その土地でその季節にとれたものを食べるのが健康によいという考え方です。
食養生の身土不二も、まさに共感するところですが、今日は、仏教の言葉について考えてみたいと思います。
人は、環境のようになる
例えば、私の住む湘南は、初めて訪れたとき、その土地の人々の伸びやかなくったくのない笑顔に、とても癒されるとともに驚いた覚えがあります。
それまで住んでいたところでは、考えらないオープンマンドな人たち。
最初は、そのおおらかな様子に比べて、自分がとてもつまらない人間のように思えてちょっと落ち込みました。ただ、湘南に住むようになり、その海風に毎日触れて、山々の気を感じて、フラを踊ったり、ウクレレを弾いたりしているうちに、なんだか自分もおおらかになっていったのを思い出します。
本当に気持ちのよい方が多い、素敵なところです。
これも、湘南の自然、土地の気がなせる業かもしれませんね。
住まう場所にとどまらす、
例えば学校
例えば会社
何かのサークルなどでも、
なぜか、その集団独特の雰囲気があるものです。
そして、知らない間に、そのエッセンスが自分の中に染みついていたり。。。
そして、家の中の環境もしかり。
とても片付いたお部屋に住む人と、雑多なちらかったお部屋に住む人とでは、頭の中も、行動も、表情も、違ってきそうですね。
さらに。。。
一番自分に近い「環境」って何だと思いますか?
。。。。。。
。。。。。。
そうファッションです!
たとえば、ジーンズにTシャツのようなスタイルのとき。
タイトスカートのスーツのとき。
フェミニンなワンピースのとき。
さらに、お着物を着たとき。
表情や、身のこなしや、言葉づかいまで違ってきそうですね。
人は、
「お洋服のようになる」
と言ってもよいかもしれません。
人は、お洋服にようになる
例えば、
家で、スウェット姿でいるお母さんと、
似合う色のニットに、ミモレ丈のセミフレアスカートのお母さん。
なんだか、かなり人となりが違っていそうですね。
やはり。。。
人は、「お洋服のようになる」
に違いありません!
そうとわかったら、さっそくワードローブをチェックしなくては。
そうなんです。
これが「私」なんです。
くたびれがヨレヨレのシャツ。
毛玉がたくさんついたセーター。
流行おくれのジャケット。
これって、今の私にふさわしい????
くたびれてヨレヨレの私になりたくないし。
余計なものをくっつけて歩きたくないし。
流行おくれの昔の人にはなりたくない。
だったら、すぐに手放さなくては!
そして、私と=(イコール)でつながるお洋服だけ残すのです。
その際、私を言葉であらわすことができれば、とてもやりやすい!
オンの私は、後輩たちのあこがれのスタイリッシュな先輩。
オフの私は、家族に愛される笑顔溢れるママ。
なんていう風に、言葉にしておくと、お洋服を選別するときに、とてもやりすい!
まだ着れるけれど、キャラクターにあわないな?と思ったら、どなたかに譲るか、フリマやネットで売るか。。。
そのお洋服が「一番身近な環境」としてふさわしい人のもとに届けたいですね。
お洋服には、思い出がくっついてくるので、古くても手放すには勇気がいりますが。。。
とにかく
人は、お洋服のようになる
その言葉を念頭に、「これって私!」というお洋服を手元に残していきましょう。
すると不思議な発見がありますよ。
それは、お洋服が減った方が、コーディネートの幅が広がる!ってこと。
不思議でしょ。
さぁ!
私も!
キャラクターを考えて、お洋服の総入れ替え。
ゴールデンウィークの大仕事です。